ピティナ調査・研究

第5回:栗林聡さん(わたじん楽器/新潟)

第5回:栗林聡さん わたじん楽器/新潟

「音楽は世界の共通語」という言葉があるように、音楽はグローバルな視座で捉えられることが多い一方、民族音楽にはじまり、国歌、民謡、更には校歌に至る地域性も併せ持っています。音楽教室は、その地域の音楽を支えるコミュニティとしての機能が期待されているわけですが、音楽教室だけでその機能が果たせるわけではありません。そこでピティナでは楽器店や調律師など、「地域の音楽教育を支える存在」の方々を「エリア・ミュージック・サポーター(AMS)」とお呼びすることとし、AMSの方々と連携した取り組みを始めました。すると、次々と音楽教室の先生方に活用して頂きたい情報や、ピアノにまつわる深い~ぃ話が出て来るではありませんか。それらを是非先生方に知って頂き、お役立ていただきたいと考えました。AMSのみなさんの素晴らしい活動を、大内孝夫さんによるインタビューを通じたシリーズでお伝えします。

取材:大内孝夫


この6、7年で支部のあり様も、楽器店のあり様も大きく変わった地域がある。新潟だ。

ピティナ新潟支部の発足は1983年で、比較的歴史は古い。しかし、運営主体は安定せず、本部がコンペ予選を主管した時期もあった。それがわたじん楽器の運営体制に移行後、変貌を遂げ、今ではピティナ支部取り組みの最先端を走る。県内他楽器店との協力体制が構築できているのも大きな特徴だ。

現在の会員数は112人。ステーションは他の楽器店運営を含め7つ。その立役者栗林聡さんは、第一線の調律師でもある。お話を伺いに、新潟へ向かった。

『忘れもしません。2011年11月に支部を主催していた大学の先生がお辞めになり、さてどうするか、という話になって。うちにお鉢が回ってくるかも、とは思いましたが、事務や人間関係が面倒なだけでメリットは少ない、というのが社内の大勢でした。でも、私は何となく、面白いかも、と(笑) 』

栗林さんの予感は的中した。ピティナ本部の支援や先生方のご協力の後押しを受けながら運営に力を注ぐと、予想もしない効果に驚いた。

『最初のコンペ参加者数は確か170~180人くらい。それが2年目には200人を超え、今では400人超。倍以上です。開催日数も2日から、延べ5日に増えました。』

指導は先生方にお任せし、事務局は運営に専念する、という分業体制もうまく機能した。会場の手配は、進行は、弁当は・・・そんなことばかり考えていたら、いつの間にか今に至ったという。

『じつは、少子化や地域の人口減少とともに、うちの楽器販売もジリ貧状態でした。それが、コンペ参加者が増えるにつれて、先生方のご紹介で不思議なくらいグランドピアノが売れるようになったんです。これには驚きましたね。我々があれだけ頑張っても売れなかったのに、こちらが何も言わなくても「グランド下さい!」と。』

レッスンがすばらしいと、生徒さんはぐんぐん成長し、家とレッスンで使うピアノの違いに敏感になる。成績が伴うから親も少し無理してでも応援したい気持ちになる。そんな好循環が生まれているようだ。しかも東京志向が強い新潟では、「子どもと一緒に私も東京に行くぞ!」が親同士の合言葉。これが更にモチベーションをあげている。

2016年9月25日 わくわくステーション in 新潟の初回ステップにて

最近は、提携コンクールへの取り組みも積極的だ。

『専務の加藤(和俊さん)は、日頃からブルグミュラーのコンクールがないのはおかしい、と言っていました。ピアノ初心者の誰もが通過する初めての本格的な曲なのに、なぜないのか、とね。ですからコンクールができたときは、さすがに「やりません」とは言えず(苦笑)』

わたじん楽器には今年で11年目になる社内コンクールがある。これとコンペ、バッハ、ブルグがうまくからんだ。

『社内コンクール本選が3月で、その直後にコンペの課題曲発表があり、この2つがつながりました。そして、7年前からバッハコンクール、2年前からブルグミュラーコンクールも手掛けています。コンペとは異なる生徒層も挑戦するため、新たなグランド購入層ができました。』

そんな話を聞いて、「経営学の父」P.ドラッカーの言葉を思い出した。

「マーケティングの理想は、販売を不要にすることである」

ピティナ・コンペや提携コンクールには、そんな威力があるのかもしれない。しかし、ピティナ事務局を引き受けた意義には、楽器販売の成果以上のものがあった。

『ひと言でいえば、わたじん楽器への世間の認知度。最近、これが本当に変わりました。これまで何十年も見向きもして下さらなかった先生が、向こうから声を掛けて下さる。本当にありがたいことです。お話をうかがうと、先生方も悩んでいるんですね。そのお手伝いができるようになって、新潟全体の音楽コミュニティが広がり、成長している実感があります。新潟に訪れた大きなチャンス、と言ってもいい。それを更にどう進化させるか、今が知恵の絞りどころです。』

わたじん楽器新潟店全景
インタビューを終えわたじん楽器新潟店店内でくつろぐ大内さん。

コンペ参加者の増加も400人台で一段落、その他にも課題は多いという。しかし、延びさえすればいいという段階は終わった、と栗林さんは断言する。

『他の地域も同じだと思いますが、楽器店にとって「地域とともにどう生き残っていくか」は大きな課題。その際、正会員や力ある先生にレッスンやセミナー、審査員などをお願いし、先生方のやる気をいかに引き出せるかが重要だと考えています。私たちは地域に何ができるのか、何をなすべきか―――常にこれが頭にあります。もっともっと中身を充実させて、地域とともに、先生や生徒とともにレベルアップしていきたいですね。』

新潟は広い。新潟市を中心に東西200キロ以上に及ぶ。南にも100キロ以上。そんな地域に響き始めた長い音列を、これから栗林さんはどう調律していくのだろう。その表情には、どんなささいな音も、その音の乱れも、聞き洩らすまい、との固い決意が滲んでいた。

(取材日:2019年月日)

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