最終回「神を讃えん」
ついにこの連載も最終回。アルカンの圧倒的にカラフルな世界、楽しんでいただけたでしょうか。続けて読んでくださった方、長いあいだ本当にありがとうございました。
最後だから、私の思う「アルカンここが凄い」をきちんとまとめておこうかな、などとも考えたのですが、結局いろいろと挙げすぎてわけがわからなくなりそうなので断念。ただ、ひとつだけ言えることがあります。アルカンの音楽は、人間という存在そのものに寄り添っている。「奇抜」「過激」「変態」......そんなイメージの強いアルカンだから、こんなことを言うと意外に思われるかもしれませんが、私はそう感じます。
なんだかまあこの世界というのは大変なもので、人は死ぬし殺し合うし、愛が消えることもあるし、人と人は原理的にわかりあえないし、自然は厳しいし、物理法則は絶対だし、その他、不条理にも程があるほど悲しいことがたくさんある。けれども、そうかと思えば新しい命だって生まれるし、恋だって芽生えるし、友情の固い絆だってあるし、自然は美しいし、万物理論は精妙極まりないし、嬉しいこと、楽しいこと、笑えること、そして笑いすぎて涙が出るほどアホらしいことまで、もうなんでもかんでもたくさんある。
人はそんな世の中で生きています。アルカンは、それらすべてを音楽で描写してみせようとした。世界はあんまり彩りに満ちているから、過去の作品の模倣だって用いた。自分のアイディアをよく理解してもらうために、多くの曲に題名をつけた。ちょっと伝わりにくい気分の表現には、珍しい指示語の使用も躊躇わなかった。アルカンにとって音楽は何よりも世界を語るための言葉だった。
こういう姿勢は、芸術音楽を語る人の一部からは一段低く見られてしまう原因と成り得るのかもしれない。音楽はこの世界とは切り離されて、それそのもので完結した美的な概念として昇華されているべきだ、みたいな意見もある。けれど、私は思うのです。人と何らかの気分を共有することを目指した音楽は、果たして本当に「純粋音楽」よりも芸術的価値が下なのか?
音楽とは何なのでしょうか? 慰めになったり、鼓舞してくれたり、すべてを忘れさせてくれたり、効能はさまざまだと思うけれど、やはり人に何かしらの影響を与える力を持つ存在だと思う。もちろん、そんな情動とは関係なく、数学的・数秘術的な構造物として音楽を捉えるやり方もある。けれどもやはり、そもそも音楽が生まれたのは人の心と響き合うためだったはずなのです。自然界にはなかった綺麗な響きを生み出せることを知って、そしてその響きがなぜか心を揺さぶることを知って、人は感動したはずなのです。アルカンはその基本を忘れることがなかった。
現代的な視点から話をすれば、美しい響きに数学的根拠があり、良い音楽に法則性が見られるのは、要するに人間の脳が音を解析するプログラムがそのように設計されているから、というところに落ち着くでしょう。「聴いたときの面白さ」を通り越して音楽に構造物としての美を見出そうとするのは、錬金術や黒魔術の方向性と重なるものがあると私は思います。錬金術や魔術の体系は複雑怪奇で奥深く、実に興味深いものですが、目指していたはずのホムンクルスや賢者の石には決してたどり着けない袋小路でもあったのです。
作曲家たちはしばしば「今までになかった自分だけの音」を求めて苦労しますが、そうこうするうちに、自分の心の声から離れてしまうこともあるでしょう。なんだかんだ言っても結局は時代の風にあおられ、流行に影響され、似通った作風になっていくこともしばしばです。そんなに力まなくても自然と表れてくるものが本当の個性というものではないか。
アルカンの作品には、他者の模倣があちこちに見受けられるし、「絶対音楽」と比較して蔑まれたりもする「標題音楽」の数も多い。にもかかわらず、彼の音楽世界は深くて、独創的です。流行の最先端には興味を示さず幅広い時代の音楽を模倣してみせたことが、彼の音楽語法をかえって特別に豊かで、個性的なものにしたと言うこともできるのではないでしょうか。
自分の語法をどこまでも信じたり、新しい法則を見つけることに腐心したりして、誰の影響も受けない独自の切り口を探すという表現方法ももちろん有りです。それで一点突破、驚嘆すべき作品ができることだってある。けれど、アルカンの選んだ道は違った。世界は複雑で、人の心も複雑で、それをできるだけ取りこぼさずに形に残すためには、さまざまな遺産を利用することも辞さなかった。宇宙にある多様性は、自分ひとりの力ではとても表わしきれないものだから。そのように考え、模倣を踏み台とすることで、アルカンは前衛的な表現にもらくらく手を届かせられた。
なんだか、現代の表現のあり方を見ているような気がするのです。古いものも新しいものも一緒になってデジタルデータ化され、誰でもアクセスできるようになっている世の中。そこから自分の気に入ったものを何でもかんでも咀嚼し、あるいは切り貼りして利用しながら作品を生み出す人々の群れ。作品たちは少しずつ系統樹をたどるように進化し、変化し、文化を形成する。アルカンの感性はたぶん、ここにぴったりはまる。生まれるのが早すぎた天才、という言葉を思い浮かべずにいられません。
アルカンが『エスキス』の最後に番号なしで残したのが今回の「神を讃えん」。皮肉屋で、実は照れ屋なところがあって、いつもユーモアを身にまとって斜に構えがちな彼の、最も真ん中にある部分。神への信仰は、我々現代日本人がいちばん踏み込み難い領域かもしれない。けれど、この世に生きている以上、自分の核心部分に何かの「祈り」があるような感覚は、誰しも抱いたことがあるのではないか。アルカンの音楽は決して理屈だけのものではなくて、何よりも自分の内にある「気分」を表現したものだから、彼がこの曲に託した祈りは宗教も時代も超え、たくさんの人に届くものだと私は信じます。
アルカンの心に共鳴した(つもりの)私が奏でた音楽が、そしてこうして綴った言葉が、誰かの心をまた響かせますように。もしも誰かの作ったものを「いいな」「面白いな」と少しでも感じられたなら。それはきっと、ただそれだけで本当に素敵なことだと思うのです。
アルカンの音楽は、いかがでしたか?
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