ピティナ調査・研究

第17曲「3声の小さな前奏曲」

アルカンはいわゆる「コンポーザー・ピアニスト」と呼ばれる系譜に名を連ねています。これはピアニストでもある作曲家のこと。ピアニストなのだからピアノ演奏に関する技術には当然くわしい。だから彼らの作るピアノ曲はおのずと、磨きぬかれた達人の技が光るものになる。

ピアノに限らず、ある楽器を熟知した名人による曲は、その楽器の奏者にとっては特別なものです。わかってる者同士にだけ生まれる一体感がある。一見、無茶な技術を要求するように見える真っ黒な譜面だったとしても、名人の書いた譜面なら信頼できる。決して本当の無茶は書いていないからです。

それだけでなく、指使いや身体の動かし方までも譜面から間違いようもなく読み取れたりする。そういった身体性は感情表現に直結していることも多くて、作曲家と演奏家は単なる音楽理論を超えた部分でたくさんの情報を共有できるわけです。

逆を考えると、こんなことも言えます。

――楽器が弾けない作曲家の書いた曲は、すぐバレる。

これは本当のこと。いくら研究熱心で、知識として楽器の奏法をすべて理解していたとしても、真の名人が書くようには書けないものです。たとえばラヴェルのピアノ曲の譜面は実に美しく、あらゆる技巧が自在に詰め込まれているけれど、彼のピアノの腕前が名手には程遠いものだっただろうことは、演奏家が見ればすぐわかってしまうのでした。

アルカンのピアノの腕前は私が保証いたしますが、しかしほかの楽器に関してはどうだったのか?

実はアルカン、人前での始めてのコンサートはヴァイオリニストとしてだった、という記録が残っている。ということは、ヴァイオリンに関しても並外れた技能を持っていたのだろうか?

アルカンが残したヴァイオリンとピアノのための「協奏的大二重奏曲」を演奏したことがある。共演したヴァイオリニストの方はこう言った。

「この作曲家はヴァイオリンのことも、ヴァイオリンの譜面の書き方も、なにもわかってない」

......とまあ、そういうこと。

アルカンがヴァイオリニストとしてデビューした、というのは何しろ7歳のときの話だ。その後の彼について、弦楽器に親しんだという話はまったくない。もしも7歳のときに本当にヴァイオリンが上手かったのだとしても、恐らくピアノの方が楽しくて完全に乗り換えてしまったということなのでしょう。

ところで、「コンポーザー・ピアニスト」というのはよく聞きますが、「コンポーザー・ヴァイオリニスト」とか「コンポーザー・トランペッター」というのはあまり聞かない。「ヴァイオリニストで作曲家の」とか、「作曲家でありトランペット吹きの」とか、せいぜいそんな説明がされるくらいです。これは何故だろうかと少し考えてみたのだけれど、おそらく「コンポーザー・ピアニスト」は何でもかんでもピアノ1本で済ませたがるという非常に特異な体質があるからこそ、特に呼び名がついているのではないかと思う。

ピアノという楽器の特質、ひとりで何でもできるような自由度の高さのおかげだろうが、ピアノならではの表現だけではなく、さまざまな合奏の形をピアノで再現しようとまでする。世の中にある音楽はどれもこれもピアノ1台に写し取ることができる、と信じているような人種が、コンポーザー・ピアニストというやつなのかもしれません。

『エスキス』のような小品集の中にも、そんなコンポーザー・ピアニストとしてのアルカンの魂はたっぷりこめられている。今回の曲は「3声の小さな前奏曲」ですが、曲の頭に quasi col arco とある通り、弦楽三重奏を模したもの。各声部の音域を考えると、古典派の時代の作品のようにヴァイオリン2本とチェロという編成を意識しているのでしょう。長いクレッシェンドなどの表現において、ピアノが弦楽器に敵うわけがありませんが、それでもできるだけ再現できるよう呼吸のひとつにも気を配る必要があります。

それでは、また次回


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