ピティナ調査・研究

高校生が「かてぃんピアノ」をきっかけに学校に音楽祭を創設(わたしのKeep On Music第28回)

わたしの Keep on Music
第28回 高校生が「かてぃんピアノ」をきっかけに学校に音楽祭を創設
谷﨑優樹さん・遊佐朱雀さん・荒木岳道さん(朋優学院高等学校)

11月25日~30日に都内の朋優学院高等学校に「かてぃんピアノ」がやって来る!―「角野隼斗UPRIGHT PIANO PROJECT」として初めて学校内へ設置されることとなる今回の企画を立案したのは、現役の高校生たち。彼らは「かてぃんピアノ」の誘致を学校全体で音楽を楽しむ機会とするため、学校と交渉して学内に新たに音楽祭を立ち上げ、1年半をかけて盛り上げてきました。中心となった高校3年生の谷﨑優樹さん、遊佐さん、荒木さんにお話を伺いました。

左から遊佐さん・谷﨑さん・荒木さん
高校生の発案で「かてぃんピアノ」を誘致

「角野隼斗UPRIGHT PIANO PROJECT」の存在をどのようにして知りましたか?

3歳からピアノをやっていて、ピティナのコンペティションにもA1級からF級まで参加し続けています。そんな中、高校2年生の時に母がスタインウェイの公式ホームページでアップライトピアノプロジェクトを見つけて教えてくれました。「すごく弾きたいな」と思ったのと同時に、「もしかしたら自分が通う朋優学院を巻き込んだら、もっといいものができるんじゃないか」と思い、企画を考え始めました。一人ではアイディアにも限界があったので、音楽活動をしている親友の遊佐くんに声をかけて企画を進め、生徒会の荒木くんに相談して学校に話を持って行くことにしました。

谷﨑さんの発案だったのですね。お二人とももともと音楽には興味があったのですか?

昔からピアノを習っていて、高校では筝曲部などに入っています。ピアノは習うのはやめてしまったのですが、家で弾いています。

ピアノは小学生の時にやっていましたがやめてしまいました。小学校の金管バンドでパーカッションをやっていて、今は趣味でサックスをやっています。

「かてぃんピアノ」とかけ合わせ、「音楽祭」を創設

「かてぃんピアノ」の誘致が、どうして「音楽祭」の創設へつながったのでしょうか

中学の時から「音楽祭」というものに憧れがあって、生徒会活動をしていた時に、文化祭、体育祭のほかに音楽祭を作りたいと言ったのですが、公立学校では自由が利かず実現できませんでした。朋優学院はとても自由な学校だったので、これは中学生の時から思っていたことが実現できるかも、と思っていました。そんな時に「かてぃんピアノ」のプロジェクトと出会い、これをかけ合わせれば音楽祭ができるかも、と思いました。

2つの想いのかけ合わせの発想ですね。この話を聞いた時に、どう思われましたか?

学校に「かてぃんピアノ」を置いてみたいという話を谷﨑から聞いて、「すごいことを言うな」と思ったのですが、すごく面白そうな企画だと思ったし、ピアノを置くという話から、学校としての音楽祭に広げるということも含めて、全面的に協力したいなと思いました。

私は生徒会の公約として、生徒達の「これをやりたい!」という想いをくみ上げてイベントにしていくことを掲げていました。行事の活性化を考える上で、軽音、吹奏楽、筝曲、合唱など音楽系の部活がせっかくあるので、いわゆる文化祭と別に音楽祭のようなものの設立ができないか、ということは考えていたのですが、なかなかきっかけがなく、自分ひとりでは実現が難しいと思っていたところへ、谷﨑くんがアップライトピアノプロジェクトと音楽祭をかけ合わせる企画を持ってきてくれたので、「いいね、やろう!」ということになりました。

それまでは、それぞれの部活が別々に実施する公演はあったのですが、色々な部活が一緒に何かをやる、というのは、この音楽祭が初めての試みです。

準備期間に3回の音楽祭を実施で手応え

生徒会から学校へ話を持って行った際、学校の先生はどのような反応でしたか?

「かてぃんピアノ」の設置に関して未知数なことが多くて、費用の問題、時期の問題、そもそもどこに置くのかという問題を説明できないと、応募はできないと言われました。そこで、皆が通り吹き抜けにもなっているエントランスホールに置くことを想定して、アップライトピアノのサイズに養生テープを貼ってみたり、ピアノと扉のサイズを測って搬入可能なことを証明したりということをして説得しました。

企画の実現のためには、趣旨の説明だけでなく、そうした現実的な実施可能性もクリアしていく必要がありますね。そういうことを全部学生さんたちでやられたのですね。そうして先生を通じてプロジェクトへ応募された2023年の6月から今回の誘致まで、1年半の期間をかけて企画をあたためて来られたのですね。

実は最初の応募の時は、こちら側の希望時期とプロジェクトの貸し出し可能な時期が合わず、改めて日程を提示することになりました。その時に、ピアノをいきなり校内に置いても、どのくらいの人が弾いてくれるのか分からないし、ストリートピアノの設置も音楽祭の実施も初めてなので、ぶっつけ本番は難しいかもしれないと考え、準備期間をしっかりと設けることにしました。やってみないと分からないこともあるので、「かてぃんピアノ」を実際に置く前に、実験として何度か音楽祭を実践してみようということになりました。

若葉音楽祭の様子

去年の12月のある期間の放課後に「HoyuMusicFestival」として第1回目の音楽祭を開催しました。「かてぃんピアノ」を置く予定の場所に電子ピアノを置き、ストリートピアノにしました。その他、4つの音楽系の部活と有志団体による公演をいくつか実施しました。

ずっとやりたいと思っていた部活コラボ企画もやってみました。音楽以外の部活と協力した「筝曲×茶道」のコラボでは、音楽を聴覚だけでなく、味覚や嗅覚を使って楽しめる音楽祭ならではの企画を実施しました。今後は「軽音×吹奏楽」のコラボを実現し、ブラスの音が使われているポップスの演奏や、ドラムやギターが必要な吹奏楽の曲など、部活単独ではできない曲の公演を企画してみたいです。

茶道部と吹奏楽部のコラボ企画

第1回目を実施してみて手応えはいかがでしたか?

意外と色々な人が弾いてくれて、たくさんの人が興味津々で聴きにも来てくれました。特に第1回目の時には、ピアノを弾けるとは知らなかった野球部の人や先生が弾く姿に驚いて皆が集まってきたり、耳コピが得意な子がリクエストを言ったらすぐに弾いてくれてリクエスト大会になったり、生徒や先生たちの普段見られない顔を知ることができて、色々な嬉しい気づきがありました。

本物のピアノから伝わる、生の音楽の力を感じてもらいたい

今年の3月に2回目、7月に3回目を実施し、3回目からは名称を「若葉音楽祭」と改めました。この11月は「第2回若葉音楽祭」となりますが、私たちの音楽祭の実施としては4回目となります。

普段は音楽室などのピアノを自由に弾けるなど、校内でピアノを弾く機会はあるのでしょうか

電子ピアノでのストリートピアノの様子

実は、朋優学院には生のピアノが1台しかないんです。それも、メイン棟とは別の場所の音楽室にあるので、選択音楽の授業以外は、学校のピアノが人目に触れることはないんです。体育館にもピアノがないので、式の時にもピアノ伴奏というのがなく、スピーカー音源しか使われません。

「かてぃんピアノ」を「学校」へ誘致したいと思った理由は、そこにもあります。「かてぃんピアノ」を置いて、本物の生ピアノのよさをみんなに知ってもらって、学校にもっと生のピアノを置いて、生のピアノに触れる機会を作って欲しい。そのために、みんなが「かてぃんピアノ」に近くで触れて、ピアノの音の素敵さやみんなで音楽をすることのよさを感じる機会を作りたい。そういう力が、「かてぃんピアノ」にはあると思いました。

私たちの学校では高校2年生の時しか芸術の授業がなく、しかも音楽と美術との選択なので、この学校に来て音楽に触れない人は徹底的に触れることはありません。高校生の多感な時期、色々なものを吸収できる時期にいるのに、生の音楽がそばにないというのは、非常にもったいないことだと思います。今だからこそ私たちには音楽が必要で、今だから生の本当の音が必要なのだと思います。今回の企画は、自分たちはこれだけ音楽を欲しているんだ、ということを訴えるものです。生徒主導の企画ですが、先生方の間でも話題になっていて、音楽祭を通じて、自分たちが若い頃を思い出したと言ってくださる先生や、学校にストリートピアノを置いたらいいのでは、と言ってくださる先生もいました。

11月の「第2回若葉音楽祭」は音楽祭4回目にして満を持して「かてぃんピアノ」を迎えることになりましたが、どのような企画をされていますか?

今回初めて、外部の一般の方にも音楽祭を開放することになりました。11月25日から29日までの放課後を学内と一般へ開放、30日はオープンスクールとして入学希望者に向けて開放します。昨年もオープンスクールで電子ピアノのストリートピアノを置いたのですが、中学生たちが弾いてくれていたと聞きました。今回は一般開放なので、商店街などへもポスターを貼って、地域の方々との交流の場ともしたいと思っています。

自分たちでイチから音楽祭を作るという経験

実際の音楽イベントとして運営していく上で、大変だったことはありますか?

最初は3年生3人でやっていたのですが、だんだん規模が大きくなってきて、今は各学年から実行委員が出て約20名になりました。出演者も全学年から公募しているので、関わる人が多くなるほど、まとまるのが難しくなり、運営もシフト組みなど大変なことも増えました。でも、もともと私が作っていたホームページを、詳しい人に更新を託すことができたりと、得意な部分で手伝ってもらえるようになりました。

実行委員のメンバー

このプロジェクトを立ち上げ、実施していく中で学んだことは?

昔からたくさん色々な音楽に触れてきたけれど、自分からこうして企画してみんなに聴いてもらうなんて、高校に入るまでは全く考えたこともありませんでした。こうして自分たちの力で自分たちの音楽を直接届けることができるということが、とても素敵だと思いました。

今回彼らからこの企画をもらって一緒にやっていく中で、今まで自分たちがやってきた音楽は受動的だったなと思いました。自分がイチから音楽祭を作っていくとなると、今までと全く違う音楽との接し方になり、とてもいい経験になりました。音楽が空間を彩る力、人の心を動かす力、生活を豊かにする力など、音楽だからこそできる可能性を感じる経験を高校生のうちにできたことが、自分の中ですごく大きいです。

音楽は自分で奏でるだけではなくて、誰かに聴いてもらうことで、楽しみが拡がります。この音楽祭を通じて、音楽の楽しみを学校全体へ拡げることができてよかったと思います。私はアイディアを出したり運営をしたりというのが好きだったので、それを自分の好きな音楽とかけあわせてできるというのが嬉しかったです。

高校生活の中で、自分だけでなく、音楽の世界を知らなかった人たちも含めて高校生全員が、音楽ってこんなにいいものだと感じる経験できるというのは、すごく貴重な体験だと思っています。社会に出る前にそういう世界を知っているというのは、社会に出た後に全然違うと思います。高校生の間に実現できて本当によかったです。

自分たちが運営に関わる最後の音楽祭となると思いますが、ぜひ悔いのないよう楽しんでくださいね。

若葉音楽祭の様子

2024年11月1日取材
取材・文 二子千草

担当の石川孝先生より

初めてこの企画を谷﨑君たちから聞いたときは「本当にこんな企画が学校でできるのか?」と半信半疑でした。3人しかいなかった実行委員が今では常に10人以上いて、若葉音楽祭も規模をどんどん拡大しています。しかも今回は本当に「かてぃんピアノ」を招致することになるなんて本当に驚いています。と同時に谷﨑君をはじめ若葉音楽祭に携わっている生徒たちの行動力やエネルギーみたいなものに感動しています。一人の生徒の想いをまわりの生徒が賛同し、そして応援し実現に至ったこと。こんなに素敵な事は無いと思います。ぜひ今回の若葉音楽祭も成功させて、この想いを生徒たちでつないでいって欲しいと期待しています。


企画情報

角野隼斗UPRIGHT PIANO PROJECT「若葉音楽祭に「かてぃんピアノ」がやってくる♪」
若葉音楽祭公式HP


発案者・谷﨑優樹さんはどんな人?

谷﨑さんご自身は、ピティナ・ピアノコンペティションにもずっとご参加いただいていましたね

ピティナで賞をいただいた幼少期

A1級からF級まで参加していました。小学生の頃は、コンクールには自分から出たいというよりは、出されている感じでした(笑)。でも、出るからにはちゃんとやりたい、こんな演奏をしたいと思って弾いていました。ピティナで本選に行くようになると、大きなホールで演奏する機会に恵まれ、会場ごとに違うピアノを弾けることに楽しみを覚えるようになりました。もしかしたら自分が知っているプロも弾いているかもしれない、コンサート用の大きなピアノで弾ける貴重な機会が嬉しくなり、小学校高学年ごろからだんだんと意欲的になってきた気がします。

コンクールの思い出は?

ピティナのコンペティションのよいところは、近現代の課題曲があることだと思います。自分で選んでいたら弾かないような近現代の作曲家の作品などがあって、新しい曲との出会いはピティナで得ていたような感覚があります。特に思い出に残っているのは、本選でチャイコフスキーの「朝の祈り」を弾いた時です。響きがあるとてもきれいな曲だったので、母が教会へ連れて行ってくれて、教会の荘厳の雰囲気や音の響きを感じてから会場へ行き、豊かな音のイメージを持って弾くことができたのが心に残っています。

ピアノ以外に音楽とのかかわりはありますか?

小学校の間はピアノ主体でしたが、中学になってからは吹奏楽部にも所属して、オーボエとファゴットをやっています。ピアノでは独奏という形でしか音楽と関わってきませんでしたが、吹奏楽に入ってアンサンブルの楽しみを知り、知り合いもすごく増え、音楽の視野が広がりました。2020年のコロナ禍で吹奏楽コンクールが中止になり、集大成の発表の場をなくした人たちに機会を与えようという「響け2020のハーモニー」というプロジェクトに高校生の時に参加しました。初めて音楽関連で運営側として関わったのがその時です。最終的に50人ほど集まってコンサートを開催し、高校野球に出られなかった人たちのための「あの夏甲子園」のプロジェクトにも協力して甲子園球場の応援演奏に参加するなど、貴重な体験ができました。

吹奏楽部の様子 指揮=谷﨑さん

今は、若葉音楽祭のオープニングセレモニーで自分も弾く予定なのでその練習をしています。

この後はどのように音楽と関わっていきたいですか?

弾きたい曲が数えきれないほどあるので、受験が終わったらすぐに再開したいし、大学に入ったらピアノの研究会に入ったり、コンクールもまた受けたいと思っています。コンチェルトもやってみたいので、夢物語かもしれないけれど、ピティナの特級にも出てみたいです。ショパンコンクールにも行ってみたいです。映像と音響との関わりに興味があるので大学ではその勉強をしたいと思っています。色々なことに興味を持ったり挑戦したりして、人からは野心家だねと言われることもあるのですが、これからも色々なことに挑戦していきたいです。そして、ピアノは死ぬまでずっと弾き続けていたいです。

松尾ホールにて(中学2年生の頃)

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