Vol.2「音楽×国語」ー音楽の言語化レッスン(新しい生活様式のレッスン)
今回のコロナ禍でわたしもオンラインレッスンを始めましたが、直接のレッスンに比べ、あまりに多くの大切なものがこぼれ落ちてしまうと痛感。それを補うべく、そもそも音にする前の脳内の作品像にアプローチしたいと思い、手探りで、「自分が取り組んでいる作品のプログラムノートを自分なりの言葉で書く」という課題を出してみました。
さらに、「音楽評論家が書くような客観的なプログラムノートではなく、演奏家自身が書くプログラムノートにしよう」という条件をつけてみました。自分なりの作品像や表現のビジョンを含めて言語化するわけです。必然的に、どう表現したいのか、そのビジョンをクリアにするために、楽譜を読み込んで、背景を調べたりして、思索する時間を持つことになります。
この効果は想像以上でした。ベートーヴェンの《テンペスト》に取り組む中2のK君は、ハイリゲンシュタットの遺書について触れてくれました。ところが、このベートーヴェンの〈ハイリゲンシュタットの遺書〉は、弟への遺言書の体裁をとっていますが、よく読んでみると、辛い難聴の愚痴は書かれているものの、その苦難に屈しない決意や、創作を続けることへの使命感が語られています。これを、自殺を考えるほどの絶望が綴られた手紙だと朧げな先入観を持っていると、同時期の作品へのイメージも変わってきてしまうことになります。
もうひとつは、音楽上の観察で、何について触れるか考えることは、その作品の固有性を考えることに繋がるということです。たとえば、この《テンペスト》第1楽章では、即興的な序奏の存在や、再現部でのレチタティーヴォなどが、普通のソナタと異なる要素ですので、一定の枠組みのなかで、聴き手に「あれっ?」と思わせる場面になります。このようなところは、演奏するうえでも決して素通りできず、作曲心理を推理しながら表現を吟味することになりますが、作品を俯瞰して脳内にマップを描くことで、「表現すべき」ところが明確になります。音楽が自然に進行しているところ、不安定に移ろうところ、劇的に高揚するところ、ドラスティックに変化するところでは、当然、弾き手のテンションも変化します。音楽全体を観察することにより、演奏にメリハリが生まれるのです。
現在は、オンラインと対面を併用して、プログラムノート添削も継続していますが、わたし自身も、生徒たちが新曲に取り組む際、「暗中模索」することがなくなり、最初からある程度の理解のもと、作品に相応しい空気感を演出できるようになったと実感していますし、生徒たちからも(苦労してはいますが)とても好評です。中学生たちとは、Zoomで読み合い学び合う会をしています。
この試みを始めて改めて気づかされたことは、生徒たちにとって実り多い良いレッスンをするためには、指導者側が、あらかじめ自身でその作品について魅力的なプログラムノートを書けるぐらいの状態であることが理想的だということです。そもそも、聴き手と時間を共有し音楽を奏でるということは、その音楽の世界へ聴き手をいざなうということであり、その世界を魅力的にガイドできる状態でないといけません。そうありたいと、気を引き締めた次第です。
オンラインレッスンへのもどかしさから苦肉の策で始めたことではありますが、予想以上の効果に嬉しい驚きを感じています。同じようにオンラインレッスンを歯がゆく感じておられる先生方も多いと思い、アイデアを共有させていただきました。先日から、添削のみの募集も始め、レスナーさんや愛好家の方が受講してくださっています。もしよろしかったら、共感してくださる先生方と連携して、生徒さんの「脳内開発面」のバックアップもさせていただければ幸いです。
(「言語化レッスンを言語化」してもらいました)
- 今まで僕がやってきた楽譜を見るだけの分析では、よりよい発表が出来ない。そのため、曲や作曲家について資料を読んで調べる。そうすることによって、その曲に派生することも知ることが出来る。また、資料から様々なことを考えられるようになる。
- その曲で作曲家がチャレンジしているところだったり、工夫していたりするところが深く理解できる。
- その曲への興味がわく。好きになる。
- 発表することで、どう話せば、聞き手に伝わりやすいかや、抑揚の付け方なども考える。
- 他の人の意見や発表を聞くことによって、考えの幅が広がったり、新たに疑問点なども出来たりし、さらにその曲について深く知ることが出来る。
- 先生からアドバイスやたくさんの資料を頂き、さらなる改善に繋がったり、文章を読む力までついたりする。
僕が、この言語化レッスンにて感じたことは三つある。
一つ目は、音の形や色のイメージがしやすくなった。今までは、自分なりに解釈をして構成、演奏をしていたが、この言語化レッスンを受けることにより、自分が弾きたい音の形や色がより鮮明にわかってきた。また、同じピアノを学んでいる仲間からアドバイスをもらうこともできるので、他の人の感性により、発見、学ぶこともたくさんある。
二つ目は、音楽を立体化することができるという点だ。一つ目にも書いた通り、周りの人の意見などを聞いたりすることで演奏する時に音の組立てがスムーズになり、自分が出来ていないことを発見し、見つめなおすことができる。
三つ目は、曲の背景についてのアドバイスをもらったり、ほかの人の価値観を知ることが出来ることにより、新たな違う視点から音楽を見ることができる。また、違った方向からの観点を取り入れ、共感したり、曲に生かした演奏をすることが出来る。
この言語化レッスンを受講したことで今まで以上に、楽譜の奥の部分を見て、立体化した演奏が出来ると感じています。
言語化するためには楽譜をしっかり読んで構成を理解する必要がありました。自分なりによく考えて分析して言葉にすると、演奏の仕方が見えてきました。なぜそう弾くのか、演奏の根拠が持てて、自分が表現したいことが明確になりました。今までは、まず楽譜通りに音を追って、あとは雰囲気で弾いていましたが、言語化してみて、どこか大事かがわかってスッキリしました。
常に新鮮な切り口から作曲家の意図にアプローチし、様々な企画をされる内藤先生のコンサートや講座は興味深く、注目させていただいております。言葉のないピアノの曲ですが、言語化して自分のイメージやショパンの作曲時の背景や気持ちを整理し形にすることで、ぼんやりしていた脳内の表現材料のピースが潜在化しあらためて認識できました。
また自分の持っている材料以外に、言葉を上手に使われる内藤先生のアイディアや作曲家の様々な情報も頂戴でき、一層表現の材料が増えて練習のモチベーションに繋がりました。
「新しい生活様式」でのレッスンが試行錯誤でスタートしています。小さな気づき、失敗談、試行錯誤を含めた多くの情報・体験談をお寄せいただき、先生方お一人ごとのレッスンをカスタマイズするサポートができればと願っています。「生徒に寄り添って、今できる、私なりの指導」を皆様と一緒に模索していきます。注)各事例を「推奨」するものではありません。また、各記事はその時点の状況です。
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